2020-08-31

よみがえる越前奉書紬

これは江戸時代から大正頃まで福井県下で織られていた絹織物の名前です。

時代によって様々な奉書紬が織られていたようですが、多くは白生地を織っていたようです。

「越前奉書紬」

和紙の中でも最高級である奉書紙のように白く、きめ細やかで美しい絹織物である所から名付けられたということです。(諸説あります)

紬と名は付いていますが、武士の紋付き・お坊さんの法衣・公儀献上品などに使われていたようです。紬の風合いを保ちつつ上質さも併せ持っていたのでしょうか。

養蚕・生糸作りは主に農村部でされていましたが、福井城下でも中流以下の武士の内職として養蚕を行い奉書紬が織られていたようです。明治維新後、武士が職を失い困窮する地域が多い中、福井藩の武士たちは養蚕や織物という技があったため困窮を免れたという話もあります。

こんな歴史が、生糸や羽二重の生産・海外輸出の技術の礎となり、繊維王国福井といわれるまでになったのでしょう。

福井の織物は、時代の流れに乗り地道に改良を重ね、常に世の中に受け入れられるものを追求し続けてきました。そして現在も、新しい技術を開発し有数の繊維産地として生き残っています。

ちなみに、福井県内の養蚕農家は20年ほど前から杉本養蚕ただ一軒のみとなっております。

玉小石奉書紬「kinuiro」のストールは、すべて杉本養蚕の繭を使い、明治時代からの道具で糸を引き、織っています。(道具や技法に関しましては、以前よりお世話になっております加藤手織牛首つむぎ様に準じております。)

玉小石 奉書紬 Kinuiro

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